更新しない間に。。。
嫁です。
すっかりブログをさぼっていましたww
その間、4男坊は2歳になりました♡
4男まなと、2歳の朝
私たち夫婦がチャレンジの道を歩み始めて2年ということです。
ブログを更新していない間、様々な出来事が。
とても濃い数週間。
いろんな局面で、試されているなーー
という出来事が起こったり。
いろんな人と出会い、話をしたり、聴いたりして
自分たちの軸が確固たるものになっていく実感を得ています。
ドテラも
出張託児も
私たちにとって確信を持てるもの。
そこに挑戦できるありがたみを感じています✨
やるぞーーーーー!!!
今日は短いけど、これでおわり!
ようやく更新できてスッキリ!
僕もスッキリ♡
体と心の関係
夫です。
今日の4男真那人です。鼻くそがすごいですね(笑)
合同会社フォーギブでは、出張託児の他にエッセンシャルオイルの販売もしています。
アロマオイルといえば馴染みがあるでしょうか。
エッセンシャルオイルには大きく分けて2つの使用方式があります。
香りを楽しむイギリス式(雑貨扱い)とメディカルアロマというエッセンシャルオイルの使い方をするフランス式(食品添加物や化粧品扱い)の2つです。
弊社では、フランス式のエッセンシャルオイルの使い方ができるドテラ社のエッセンシャルオイルを扱っています。
私たちが会社の事業として扱うことになるまでには、一人の変わった人との出会いがあります。
その人はいくちゃんという人です。
妻のお腹の中に真那人がいるときに、病院で出会ったそうです。
私といくちゃんとの出会いは2016年の夏か秋だったような気がします。
仕事の合間に自宅に戻ったところ、ナチュラル系の(なんかインドを旅した時に出会った感じの日本人的な)人がエッセンシャルオイルの小瓶をテーブルいっぱいに広げていました。
あやしい。
すごくあやしい。
でも、悪い感じの人ではないと思いました。
夜に妻と話しをすると、「昼のやつ買いたいんだけど」と言いました。
私となんとなく良いんじゃないと言いました。
詳しく話をしていくと、どうやらネットワークビジネスの商品であることがわかりました。
ネットワークビジネスにあまり良い印象をもっていなかった私(今は少し違うけど)は、少し考え、でも悪い人じゃなそうだから、良いんじゃないと言いました。
それから、妻に言われるがまま、エッセンシャルオイルを使い始めました。
最初はなんか女々しい気がして使うのが少し恥ずかしかったです。なので自分で自主的に使うようになったのは2017年の春くらいからだと思います。
そのころの私は、脳科学やメンタリズムみたいものに興味を持ち始めたころで、某JCの事業でメンタリストDAIGOを呼ぼうと企画したぐらいです。(会議で企画が通らず、橋下徹さんをお呼びして大成功でした)
エッセンシャルオイルと脳や体の関係を知り始めたころです。香りは感情をつかさどる大脳辺縁系に直接作用することを知り、積極的に使い始めた記憶があります。
※脳科学に関しては、また別の回で語らせてください。語りたいです。
そして、前向きになりすぎたのかマラソンを始めるようになってしまいます。
徐々にエッセンシャルオイルを持つ力を体感していくようになります。けど、ネットワークビジネスに抵抗があった私は隠しながら使っていました。
今は、全然そんなことないですけどね。
何事も立体的に物事を捉えることが大事だと思います。
ネットワークビジネス自体がだめなのか。その人がだめなのか。その会社がだめなのか。
例えば皆さんがまずいラーメン屋に入って、まずいラーメンを食べて、ラーメンという食べ物ってまずいねってならないと思います。あのラーメン屋ってまずいね。もしくはあのラーメンはまずいねってなると思います。
人と会社選びが大切だと思ってます。
私は手法ではなく人を見る方とお付き合いしていこうと思っているので、その辺がよくわかるのがネットワークビジネスだと思ってます。
※弊社は小売りしていますので、抵抗ある方はそちらでどうぞ。こちら売りつけませんから安心してください。
なにはともあれ、体と心の関係は密接です。というか一緒だと感じてます。
なんかネットワークビジネスの話になりかけましたね。
でも、本質はビジネスの仕組みみたいなちっぽけなところじゃないんです。
わかる人だけわかってください。
次回から恐れることなく哲学チックな話をしていきたいと思ってます。
北上のパワースポットにて
新たな生活が始まりました。
嫁です。
2年前の12月
新居での生活が始まりました。
初めて家の中に入ったとき、思わず
「おじゃまします~」
と言ってしまいましたww
冷蔵庫も、洗濯機も、テレビも、家電はすべてそろっている!
(私の両親に用意してもらったり、義姉夫婦に頂いたり、、)
布団もある!
生活できる環境が整っていました。
本当にありがたいーー✨
産後は私の実母が1か月間泊まり込みでお世話をしてくれました。
旦那さんの仕事は、そのまま変わらず。
私は一切を断ち切る覚悟もあったので、複雑な想いもしましたが
でも、そこは旦那さんの決めることに任せました。
ひとつ感じていたのは、
これ、親がすることなのかなー
叱咤激励の1店舗なら納得。生活は厳しいけれど何とかやっていこうと思う。
でも・・・
自分も人の親。
親子ってなんだろう・・・
そんな悲しい、寂しい気持ちにもなりました。
家を出て、自分たち夫婦で協力しながらの生活。
二人で暮らしていた時とはわけが違う。
子どもたちが不安な想いをしないように(ただでさえ混乱する状況なのに・・)。
正直、実家で暮らせていた有難みも感じました。
自由には責任が伴うということはこういうことだな。
こういう状況にはなったけれど、
自分たちがしっかりと地に足つけて生活できる基盤をつくって、
もし実家に何かがあったらすぐに手を差しのべれる(金銭的にも、氣持ちの面でも)
そんな自分たちでいれるようにしよう。
その時夫婦でそういった話をよくしていました。
今でもそう想います。
2017年 夏
資本主義を食べないで舐めてみた
夫です。
我が家子どもたちの喧嘩が絶えません。書くことに集中ができません。
2016年3月頃の真那人
今ではお話もします。
2016年12月10日新居での生活がスタートしました。
実家を出ていながら、実家の仕事をしなくてはいけないというスッキリとはしない状態になりました。やはり社員の皆のことを考えると、僕が仕事をいきなり放り出していなくなるなんて薄情で無責任であって、社員の皆のことを考えるとやめる決断はその時はできませんでした。
世間からみたら滑稽なお家騒動。社員からみても望まない親子の対立。
いくら赤裸々なブログでも、細かくは書かないのですが、僕には人としてどうしても譲れないものがあった。その当時は(今も変わっていませんが、許さないとは思わないけど、近寄らない)人があっての会社であって、人を蔑ろ(ないがしろ)にする人は誰であっても許さないと思っていた。
半分開きかけた本当の心は、半分のままでいこうと思いました。僕が会社に残るという決断。
「ほら、なんだかんだ言ったってどうせやめないんだよ。」
そんな声が聞こえてきそうな気がした。
いろいろすったもんだがあったが、本意ではなかったが一つの店舗を任せれ、そこの売上の中でで生活していくことになった。
僕もバカじゃない。一つの店舗(僕の任せれた店舗)の売上・経費などある程度の数字は知っていたが、それだけでは食べていけないことくらいはわかっていた。
その中での、生活が始まった。
売上は前年比に対して1割くらいは上がったと思う。なんとか食べていけるけどギリギリの状態。
ちょっとだけまとまったお金があったので、私は株式とか仮想通貨とかそんなものを始めた。株式は1月。仮想通貨は4月に始めた。
失敗したこともあったけど、ちょっと儲かった。
今でもそのお金には感謝している。
8月に家族旅行にいけた。JCの年会費も払えた。
生活もできた。とても楽しい日々でした。
そして、株式投資や資本主義の怖さを知れた。
お金はお金のほうに行くんだなと思った。
そんな経験は自分の事業を考える上でも、大切な一部になったと思う。改めて別の回でお話をしますが、ヤマシナの株の売却益や自分の車を売却した費用で会社を立ち上げることができて、収入がないときも生活ができていました。
今は株もビットコインもやってません!そんな金もないし。
写真は2016年3月頃 神戸にて
とあるビットコイン関係の会社のイベント?
生きざまをみせる。
嫁です。
週末ということもあり、更新が少し遅くなりました。
前回は旦那さんのインド放浪記ww
が少し書かれていましたね。
インドへ行く前と後の彼を見ている私ですが、
1ヵ月の旅で表情はガラッと変わりました。
自分の目で見る
実際行動する
という経験はとても尊いものだと感じます。
もし、思い悩むことがあっても
ずっとそこにいてはいけません。
悩む時間も必要!
でもある程度悩んだら、あとは動く!!!
そうすれば、物事が回りだします。
(↑今の私たちにタイムリーなことです、実はww)
私たちもたくさん悩んで、時に足踏みしながら今を生きています。
でも、着実に前に進んでいる。
子どもこれだけいると、やっぱり迷いますよねーー( ̄▽ ̄)
生活かかってるし。
子どもたちを食いっぱぐれないようにしないといけない。。
でも、
私たち夫婦は、子どもたちにこの姿を見せていきたいと思っています。
ハチャメチャだし、
大丈夫!?
って思われることもあると思うけど、
子どもたちに一番感じてもらいたいのは
【やってみる】
ということ。
どんな状況でも可能性はたくさんあります。
自分の限界を決めて、そこに立ち止まってほしくない。
反対に、子どもたちに対して親が限界をつくりたくない。
そう思っています。私は。(たぶん、旦那さんも同じはず・・・)
できないと思ったら、できる方向で考えてみる。そして、やってみる。
そうやって進んでいきたいと思っています☺
(今の自分にも言い聞かせています)
2年前。
自分たちの本当の気持ちを押し殺して、その場をうまくまとめる方法なんていくらでもありました。
きっと何十年か後(十数年、または数年後かもしれない…)には全て解放され、自由にできるかもしれない。
じゃあ、その時をただ待っているのか…?!
旦那さんと私の決断は『NO』でした。
4男真那人を出産し、心機一転、新たな思いと覚悟で新居に退院していったことを覚えています。
我が家の4兄弟
自宅にて。この後ろ姿が最高に癒されます♡
大きな流れの源流
帰宅が遅くなりました。夫です。
昨日は妻がブログを書きました。
なんか恥ずかしいなあと思いながら、振り返りました。でも同時に、自分の素を出すことをあまりしてなかったのかなとも思いました。
そんな風に思っていたんだなあと思うこともありました。
私は一人では決められない人間です。決断の時は、いつも妻の一押しがあります。
大きな流れの中にジャンプした瞬間でした。と前回締めくくった気がします。
大きな流れ??ってなんだと思うかなと思うのですが、それは、今もその前の現実も全て自分の望んでいたことことだなということです。
?
少し前の話をします。
大学生の頃の話です。
僕の大学生のイメージはけっこう昭和な感じでした。朝まで麻雀をやってとかどこかに下宿してみたいな。なんか「神田川」の歌みたいな世界でした。
実際は全然そんなことはなかったです。が、なにかそんな感じに憧れがありました。
作家の沢木耕太郎さんが好きだった私ですが、その中でも「深夜特急」という作品が大好きでした。その作品は主人公が日本からバックパッカーをしながらユーラシア大陸を横断し、ロンドンにいくという作者の実話をベースにした物語です。
その作品の中で、インドとネパールの物語がとても興味深かったです。僕の知らない世界があると思いました。とても惹かれました。
バイトばかりしました。
そして、成田空港にいました。
飛行機を降りると知らない世界がありました。
結局インドとネパールを1ヵ月間旅しました。
でも、その時はなぜそんなことをしようと思ったのか明確な理由が自分でもわかりませんでした。
就職活動時に自分が将来何になりたいのか、真剣に真剣に考えた時期がありました。
答えは見つからずにいたのですが、とある飲み会で将来何になりたいか発表する機会がありました。
自分でも驚いたのですが、その時
「優しいおじいちゃんになりたい」って言いました。
不思議と今でも、本当にそう思います。
全てを受け入れていける人になりたいと思います。
過去も今もそのための経験をしているように感じます。全て僕が優しいおじいちゃんになるために用意されているような気がします。
大変だと思いながら、なんか全部望んだことやったやん!って思うんです。
今は。
これが大きな流れの源流です。
写真はインドとネパールを旅してたころの私です。
大きな流れの源流
帰宅が遅くなりました。夫です。
昨日は妻がブログを書きました。
なんか恥ずかしいなあと思いながら、振り返りました。でも同時に、自分の素を出すことをあまりしてなかったのかなとも思いました。
そんな風に思っていたんだなあと思うこともありました。
私は一人では決められない人間です。決断の時は、いつも妻の一押しがあります。
大きな流れの中にジャンプした瞬間でした。と前回締めくくった気がします。
大きな流れ??ってなんだと思うかなと思うのですが、それは、今もその前の現実も全て自分の望んでいたことことだなということです。
?
少し前の話をします。
大学生の頃の話です。
僕の大学生のイメージはけっこう昭和な感じでした。朝まで麻雀をやってとかどこかに下宿してみたいな。なんか「神田川」の歌みたいな世界でした。
実際は全然そんなことはなかったです。が、なにかそんな感じに憧れがありました。
作家の沢木耕太郎さんが好きだった私ですが、その中でも「深夜特急」という作品が大好きでした。その作品は主人公が日本からバックパッカーをしながらユーラシア大陸を横断し、ロンドンにいくという作者の実話をベースにした物語です。
その作品の中で、インドとネパールの物語がとても興味深かったです。僕の知らない世界があると思いました。とても惹かれました。
バイトばかりしました。
そして、成田空港にいました。
飛行機を降りると知らない世界がありました。
結局インドとネパールを1ヵ月間旅しました。
でも、その時はなぜそんなことをしようと思ったのか明確な理由が自分でもわかりませんでした。
就職活動時に自分が将来何になりたいのか、真剣に真剣に考えた時期がありました。
答えは見つからずにいたのですが、とある飲み会で将来何になりたいか発表する機会がありました。
自分でも驚いたのですが、その時
「優しいおじいちゃんになりたい」って言いました。
不思議と今でも、本当にそう思います。
全てを受け入れていける人になりたいと思います。
過去も今もそのための経験をしているように感じます。全て僕が優しいおじいちゃんになるために用意されているような気がします。
大変だと思いながら、なんか全部望んだことやったやん!って思うんです。
今は。
これが大きな流れの源流です。
写真はインドとネパールを旅してたころの私です。