資本主義を食べないで舐めてみた
夫です。
我が家子どもたちの喧嘩が絶えません。書くことに集中ができません。
2016年3月頃の真那人
今ではお話もします。
2016年12月10日新居での生活がスタートしました。
実家を出ていながら、実家の仕事をしなくてはいけないというスッキリとはしない状態になりました。やはり社員の皆のことを考えると、僕が仕事をいきなり放り出していなくなるなんて薄情で無責任であって、社員の皆のことを考えるとやめる決断はその時はできませんでした。
世間からみたら滑稽なお家騒動。社員からみても望まない親子の対立。
いくら赤裸々なブログでも、細かくは書かないのですが、僕には人としてどうしても譲れないものがあった。その当時は(今も変わっていませんが、許さないとは思わないけど、近寄らない)人があっての会社であって、人を蔑ろ(ないがしろ)にする人は誰であっても許さないと思っていた。
半分開きかけた本当の心は、半分のままでいこうと思いました。僕が会社に残るという決断。
「ほら、なんだかんだ言ったってどうせやめないんだよ。」
そんな声が聞こえてきそうな気がした。
いろいろすったもんだがあったが、本意ではなかったが一つの店舗を任せれ、そこの売上の中でで生活していくことになった。
僕もバカじゃない。一つの店舗(僕の任せれた店舗)の売上・経費などある程度の数字は知っていたが、それだけでは食べていけないことくらいはわかっていた。
その中での、生活が始まった。
売上は前年比に対して1割くらいは上がったと思う。なんとか食べていけるけどギリギリの状態。
ちょっとだけまとまったお金があったので、私は株式とか仮想通貨とかそんなものを始めた。株式は1月。仮想通貨は4月に始めた。
失敗したこともあったけど、ちょっと儲かった。
今でもそのお金には感謝している。
8月に家族旅行にいけた。JCの年会費も払えた。
生活もできた。とても楽しい日々でした。
そして、株式投資や資本主義の怖さを知れた。
お金はお金のほうに行くんだなと思った。
そんな経験は自分の事業を考える上でも、大切な一部になったと思う。改めて別の回でお話をしますが、ヤマシナの株の売却益や自分の車を売却した費用で会社を立ち上げることができて、収入がないときも生活ができていました。
今は株もビットコインもやってません!そんな金もないし。
写真は2016年3月頃 神戸にて
とあるビットコイン関係の会社のイベント?